スポンサーリンク

今さらですが自分の子育てに自信がもてません。

スポンサーリンク

皆さん、こんにちは いまだ人生模索中の福子、61歳です。

本日もご訪問いただきありがとうございます。

 

わが家は70歳夫(年金生活)と61歳妻(トリプルワーク)の2人暮らしです。

賃貸マンション暮らし、持病もち、子どもは3人いるものの老後は自助努力で乗り切る予定(笑)

当ブログはそんなシニア夫婦の日常生活、お金のやりくりなどをつづっています。

61歳にもなって今さらなのですが、私はあまり子どもが好きではありません。

それなのに、勢いで(?)3人の子どもを産み育てました。

その時その時で、精一杯愛してきた(つもりだ)けれど、自分の子育てに自信がもてません。

今、世間を騒がせている「元総理襲撃事件」の犯人・・・

世の中の誰もが、その犯人を憎み、その犯人を育てた母親を非難しているでしょう。

今回は宗教の問題が絡んでいるので複雑ですけれど。

もちろん犯行自体は卑劣極まりなく言語道断で決して許されることではないけれど、

私は当の犯人を責めたり憎んだりする気になれないのです。

この犯人を産んで育てた母親を声高に非難する気にもなれないのです。

なぜか・・・というと、私自身、自分の子どもをしっかり育てられたか?自信がないからです。

「子育て」なんておこがましくて、子どもは子どもで自分で育つ力をもっているという意見も

あるけれど、母親の体内から生まれ落ち、母乳を飲んで育ち、母親と密接に接して成長するのだから、

母親の影響は大きいと言わざるを得ないと思うのです。

私の体験から言うと、母親って子どものためなら必死になれるし、子どもの幸せを何より願うものです。

「立派に成長してほしい」と願わない親はいないと思うのです。

自分の子どもに「犯罪者」になってほしいなんて思う親なんて皆無だと思うんです。

今回の母親も例外ではなかったと思うのです。ちょっと方向性が違っていたかもしれないけれど、

最初は子どものため、家族の幸せのために宗教に救いを求めたのではないかと思います。

一歩離れた場所から見ると、「それはおかしい」「愛情をはき違えている」と思えるけれど、

あまりに必死すぎて自分の過ちに気づかず人の意見も耳に入らなかったのではないでしょうか。

「子どもの幸せのためだ」とひたすらに信じて宗教活動をしてきたのではないか、と思うのです。

私自身を振り返れば、自分が成長していない状態で3人の子どもをもうけ、わけもわからず子育てをし、

感情に任せて子どもを可愛がったり叱ったり、本当に未熟で情けない親でした。

だけど、誰よりも子どもを愛し、子どものためにと必死に生きてきました。

今、冷静になれば、「甘やかしすぎたな」とか「あんなことで叱るんじゃなかった」とか

思えるけれど、その時は必死すぎて、加減がまったくわかりませんでした。

有名人の子どもが薬物で捕まったりすれば、テレビや週刊誌で「甘やかしだ」と一斉に非難するけれど

そんなの他人にはわらないでしょう?? といつも思ってしまうのです。

子育ての最中にこんなことを思っていました。

子育ての羅針盤みたいなのがあって、親の私がちょっと違った方向に行っていれば

ピピツと警報で知らせてくれて、正しい方向に行っている時には「OK!その調子!」

とか教えてくれたらどんなにいいだろうと。

子育ての結果はいつどうやってわかるのでしょう。何が成功なのか何が失敗なのか??

子どもが順調に成長して、それなりの社会人になれば子育ては成功なのでしょうか。

子どもが引きこもりになったり犯罪を犯してしまったら、失敗なのでしょうか。

その頃には親も60代、70代、80代となっていることもあるでしょう。

そこからどう巻き返せばいいのでしょう。親としてどうするべきなのでしょう?

私にはよくわかりません。 とにかく私には人を育てるなんて難しすぎでした。

子どもが独立して一通りの子育ては終えたつもりですが、まだまだ親の務めは続きます。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

続きはまた次回に~

スポンサーリンク
    ランキングに参加しています。 いつも応援ありがとうございます!!

          にほんブログ村 シニア日記ブログへ   にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ

スポンサーリンク
福子のこと雑記
スポンサーリンク
スポンサーリンク
福子をシェア
スポンサーリンク
定年後のライフ&マネープラン