皆さん、こんにちは
いまだ人生模索中の福子、61歳です。
ご訪問いただきありがとうございます。
ここのところ、20年ほど前の長女の登校拒否を思い出しながら書いています。
当時は「いじめ」で自ら命を絶ったり、暴力で命を落としたりという事件が頻発していました。
だから、たとえ毎日苦しくても「子どもが生きていてくれるからこそ悩むんだ。幸せなことなんだ」
と自分に言い聞かせて過ごしていました。
親になるのは簡単かもしれないけど、親を続けるのは幸せな反面辛く哀しいものだと思い知りました。
長女の高校時代の様子(登校拒否)は以下の記事です。
一番最初の子というのは、親も未熟だし、何事も初めてなので必要以上に悩みすぎたのかもしれません。
もっともっと大変な思いをされている方もたくさんいらっしゃるでしょうが、当時のわが家にとっては
長女の反抗、登校拒否はほんとうにつらく苦しい出来事でした。

長女の快進撃
高1の5月末から高2かけて、学校をさぼって派手な格好で遊んでいた長女、
担任のM先生、好青年の彼の影響か、はたまたバカやるのに飽きたのか、少しずつ少しずつ、
変化していきました。
大学に行きたいと言い出し、自分で予備校を探して通い始めました。
今までハチャメチャに遊んだ分、そのエネルギーを勉強につぎ込んだようで
成績もグングン上がっていき表情も本来の明るさを取り戻していきました。
「B大で心理学をやりたい」と言っていた長女は、B大を始め他の大学もいくつか受験して、
見事合格しました。 遅いスタートでよく頑張ったと思います。
その後、希望通り、B大に入学し、4年間のびのびとキャンパスライフを送っています。
余談ですが、例の彼とは大学入学の頃、お別れしたようです。 あぁ、もったいない(笑)

長女の反抗の原因はいまだによくわからないのですが、
(あとで長女に聞いたけど自分でもよくわからないと言っていました)
長女が荒れている頃に、一つ、私は真っ向から言われたことがありました。
「お母さんは私のこと褒めてくれたことがなかった」と・・・・
「え?そんなことないでしょ」と思ったけれど、長女が言うのです。
「〇〇ちゃん(次女)も〇〇ちゃん(三女)も、ちょっとできれば、よく頑張ったねって褒めるのに、
私ができても褒めてくれなかったよね」と・・・・
あぁ、確かに、長女は放っていても勉強も運動もできるから、いつの間にかできるのは当たり前
だと思っていたのかもしれません。
長女は私に対してこんなことを思っていたのか?? と驚きました。
子どもって心の中で親の愛情を無心に求めているんですねーー
褒めてほしい、というわけじゃなくて、「私のこともしっかり見て!」ということでしょう。
親はどの子も同じようにかわいいし、同じように愛しているつもりなんですけどね。
親のさりげない言葉、さりげない行動をよく見ているもんです。
私は長女に対して、「勉強のできる良い子」を望んだことはなかったつもりだけれど、いつのまにか
期待をかけていたのかもしれません。大きな反省点です。
母となった長女
長女は大学で自分のやりたい勉強もサークル活動もやって、さらにほかにも勉強したいことが
できて、1年ほどWスクールも通っていました。 高校とは違って本当に楽しく過ごしたと思います。
やりたい仕事に就き数年働いたあと、結婚し、今は、第一子を産んで産休中です。
小さな我が子を泣いてもぐずっても「可愛い、可愛い」と親バカ丸出しで育てています。
いつか、長女も子育ての壁にぶつかり、自分の無力さを痛感する時がくるでしょう。
ざまーみろ! だけども、その時はいっぱいねぎらってそばで見守ってあげたいと思います。
「親って哀しいものよ~」と2人でしみじみ語っているかもしれません。
私もまだまだ未熟で修行中なので、長女に教えられることも多いかもしれません。
娘とは距離をおいて付き合いたい
長女が生まれてもう36年が経ちました。 次女、三女と次々に生まれたので、長いこと子育てを
やってきました。 長女だけではなくどの子も成長する中で悩みごとがいっぱいありました。
親から独立したといっても、親の務めが終わったわけではないです。エンドレスだと思います。
だけど、あくまで親は親、子は子・・・近づきすぎず距離をおいて付き合うのが理想です。
できれば今後も娘たちに迷惑をかけずに夫と2人で生活したいというのが私の希望。
子どもたちの幸せはいつでもどこでも願っているけれど、黙って見守るしかありません。
何度も書くけれど、親ってつくづく哀しいものですね。。。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
続きはまた次回に~